ヴィパッサナー瞑想は、とても有名で一度は聞いたことが
ある人も多いのではないでしょうか。
ヴィパッサナー瞑想とは、どのような瞑想でしょうか?
マインドフルネスとはどのように違うのでしょうか?
どんな効果があるのかも詳しく見ていきたいと思います。
ヴィパッサナー瞑想とは?
ヴィパッサーナ瞑想とは、「物事をありのままに見る」という
インドの最も古い瞑想法の一つです。
ブッダは、サティパッターナ(念処)という心身の働きに
注意を向けてしっかりと把握することが大事だと説きました。
その後、ブッダが亡くなり、サマタとヴィパッサーナという言葉が
使われるようになります。
- サマタは、止
- ヴィパッサーナは、観
サマタの「止」は、一つのことに注意を向け続けるので集中力が高まります。
ヴィッパッサーナの「観」は、自分の心の働き全てに注意を向けていきます。
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ヴィパッサナー瞑想
ヴィパッサナー瞑想は、例えば歩いている時に自分の呼吸の吸ったり吐いたりに
注意を向けます。
手足の冷たさ、温かさなどの感覚、音が聞こえてくれば音に注意を向けます。
同時にいくつもの感覚に気づくこともあります。
ヴィパッサーナ瞑想は、あらゆる感覚に注意を向けていくので
心が勝手に拡散していくことはなくなります。
ヴィパッサナー瞑想の効果
ヴィパッサナー瞑想の効果についてです。
ヴィパッサナー瞑想の効果は、
- 集中力や注意力が増す
- 不安や鬱を緩和する
- ストレス低減
- 睡眠の質の向上
など瞑想やマインドフルネスの効果と同じ効果を上げることが出来ます。
物事をありのままに見るというヴィパッサナー瞑想は、何度もトライしたことは
ありますが、とても難しいと感じています。
物事をありのままに見るという時に自分自身の概念やイメージというものが
人生の中で自然に身についているのでそれが障害となってしまうんですよね。
逆にさまざまなイメージや概念というのは、人生の中での判断材料となるため
日常生活を送りながらヴィパッサナー瞑想を深めていくことは困難だというのが
実感です。
日本でも有名なナーガールジュナ(龍樹)は、
言語の道を断ずれば、さまざまな戯論は、滅する
と、いう言葉を残しています↓
「言語」、すなわち言葉が存在しなければ、「戯論」、
すなわち私たちの心が拡張することがなくなると述べています。
確かに、言葉は次から次へと私たちの心の働きを拡張させます。
例えば、「桜」という言葉を聞いたら、すぐに「花見」が連想されます。
そして花見の宴席を思い出して、「いいな」と思う人もいれば、
「いやだな」と思う人もいます。
引用元:瞑想でたどる仏教・NHK出版
龍樹は、このような言葉の持つ力に気づいて、
最大限の注意を払ったのだと思います。
「身心の観察」をおこなうとき、言葉の持つ機能に、
強い関心を持っていたことが彼の特徴の一つとなりましょう。
引用元:瞑想でたどる仏教・NHK出版
ありのままに受け止める観察を行う時には、
感覚を感覚として受け止めることが重要で、
その時に、言葉や言葉からくるイメージがありのままの観察ではない
ということなのでしょうか。
龍樹の後に、ヨーガの修行を大事にした「瑜伽師地論」では、
ヴィパッサナーは、智慧が生じてくる観察と位置付けられたそうです。
また、ヴィパッサナーによって悟りが得られる。
と言われているので、簡単な世界ではなさそうです。
ヴィパッサーナ瞑想とマインドフルネスの違い
ヴィパッサーナ瞑想とマインドフルネスの違いについてです。
ヴィパッサーナ瞑想とマインドフルネスの違いは、
宗教的な要素があるかないかの違いになります。
というのが一般的な説明です。
ただ、マインドフルネスには、サマタ瞑想も入っていて
ヴィパッサーナ瞑想だけがマインドフルネスとは、言い難いかと思います。
マインドフルネスでは、サマタ瞑想、ヴィパッサーナ瞑想の区別なく
使われているように思います。
また、マインドフルネスもヴィパッサナーもやることは、同じなので
意識の違いだけのような気がします。
マインドフルネスは、ヴィパッサナーほど、感覚を感覚として受け止める
ということまで求められてはいない、という感じですよね。
例えば歩行瞑想で、歩いている人を見かけたとして
その人が、マインドフルネス、ヴィパッサナーどちらをやっているのか
あるいは、夕飯の献立を考えているのか、仕事のことを考えているか
判断はできないですからね。
何を求めて瞑想をやっているのかは、個人の選択になってきますので
心の状態によっての違いになるということでしょうか。
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ヴィパッサナー瞑想とは?効果やマインドフルネスとの違い!まとめ
ヴィパッサナー瞑想とは?効果やマインドフルネスとの違い!まとめです。
ヴィパッサナー瞑想は、観の瞑想です。
心身をありのままに受け止めていく瞑想ですが、
感覚を感覚として受け止めるには、長きに渡っての訓練が必要です。
飽きずに諦めずにひたすら練習していくことが重要なようです。
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